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ミラクルな人生@世界
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6月は大学院受験生にとって忙しい時期ではないかと思う。

あちこちの大学院ではだいたい6月に募集要項配布、説明会があり、早いところでは6月末にもう願書提出のところもあった。常にウェブで目指す研究科の入試情報にチェック入れてない・・・をたをたしていると大事な情報を見落としかねない。

神経を張らなければならないのはそれだけではなくて、受験勉強もそろそろ的をしぼって(過去問研究)本腰入れて勉強し始めなければならない。

さらに私は行きたい研究室が決まってなかったのでこちらの方も探さなければならなかった。

6月5日

 たびたび進路相談をさせていただいていた方が今度β大学に立ち上げられる新しい研究室に行くと聞いて、分野が興味のある生物物理系だったので詳しい話を伺いに行った。今思えば、この方が進路相談を通して私に具体的に自分のやりたいことを考える力をつけてくださったのだ。この方の行く研究室に行けば自分はもっと成長できるかもしれないと思った。その新しい研究室の内容もエキサイティングではあった・・・が・・・純粋なサイエンスであって、「産業に応用がすぐできる研究」をしたい気持ちが私にはあったので、あきらめることにした。

6月6日

 α大のe研究室への訪問。ウェブ調査の結果、研究室の仲は良さそうだし、掲げているキーワードにも魅かれた。思った通り研究室の仲はよさげ。教授と助教授がいて、助教授が説明を色々してくれました。とってもバイタリティの溢れている先生で、話していくうちに、私の事をすごく気にいってくれてました。COEにも選ばれているから博士課程に進むなら留学させてくれるとまで言ってくれました。さらにこんなことまで言ってくれました↓

「この研究室しか受けないって約束をしてくれれば絶対合格させてあげるよ」

というなんとも心をくすぐる(この時点では私には受け皿という場所がなかったのでどこにでもすがりたい気持ちがあった)事を言ってくれるんだ・・・と思って、「はい、前向きに考えさせていただきます!」って言った次の瞬間からだんだん不安になっていきました。

原因その1:教授。ゼミの最中でもたばこを吸うとか。しかも、きれると相当怖いらしく、女の子は泣かされるとのこと。おいおい、私はそういうことに耐えるのは嫌だぞ。

原因その2:実験内容がかっこいいキーワードと相当のギャップがある。

原因その3:「なんか、おかしくない??」大学院ってこんな口約束で決まっていいわけ?

6月8日

「前向きに検討させていただきます!」なんてなんで言ってしまったんだろう・・・どうしよう、「やっぱ他のところも受けます」なんて言ったら落ちるのかな・・・?でもこんなチャンス二度とないかもしれないし。って悩みすぎて腹痛が起きたほど。ついに耐え切れなくなって彼に相談したところ、

「断ってもどうってことないよ。そんなの脅しじゃん。」

って言われた。チャンスに見えてチャンスじゃないかもしれないよ・・・みたいなことも言ってくれた。それでやっと目が覚めた。またもや自分が楽な方向に行こうとしていたことを。

6月9日

さっさと断りのメールを送ったあと、前々から訪問しようと思ってた自分の大学で違う学科のナノテク+バイオテクをやっているf研究室に行った。あいにく、みんな学会へ出かけていて、たまたまその学会用に成果が出せなくてお留守番だったM2のとある先輩しかいなかったのだが・・・

その先輩はすごい。今になってさらにその人がすごいと思えるようになった。今自分も同じM2だけど、あんなに丁寧ですばらしい研究室紹介はできないと思う。ある意味あの時その人がf研究室の代表として私に研究室紹介をしていたんだから。その人に初めて教わったのが企業との共同研究の話。なんだかプロジェクトXみたいで聞いていてわくわくしちゃった。先生の噂も聞いたけど、海外の学会に積極的に参加もするし、元気もいいし、楽しいし、頭のいい先生だって。ナノテク+バイオテクだし、研究内容も◎、やっている研究が応用に直結するし、こんなすばらしい人がいるんだし、なんたって自分の母校ですからね。まさに灯台下暗し!!どうして今まで気づかなかったんだろう??ま、でもウヨウ曲折したからこそf研究室の素晴らしさがわかるのかもしれない・・・ここは絶対受験することにした。

後に私の同じ学科の友達がこのf研究室と共同研究することになるんだけど、やっぱり思った通りやりがいがあって楽しいみたい!(その後はどうなったか不明だけど)

6月11日

それでも1つだけの研究室に的をしぼるのは危険。落ちたらこわい。というわけで、再びウェブでナノテク&バイオをキーワードに研究室をさがしてみるとβ大のg研究室がヒットした。このg研究室のHP・・・なんだかただものではないポテンシャルを感じた。まず、「研究室適正診断」みたいなのがあって、私は

「あなたはひょっとしたらg研究室には向いていないかもしれません」

だった。メンバーを見てみると

「え??これがβ大学の学生??」

そして何故か先生の写真のバックにナマズが・・・

研究内容を具体的にみてみるとどうやらプラズマが絡んでいる研究室らしい。プラズマは学部1年のときの英語のリサーチで初めてちゃんとしたことを知った科学現象。私はこのプラズマをテーマにしてプレゼンをしたことがある。確か未来の飛行機は表面に微少量のプラズマを発生させて大気との摩擦を少なくして今の云十倍の速さになるかもしれない!っていうような内容だった。クラス(といっても5人の)で大反響だったし、私自身リサーチしながら面白いと思っていたトピックだったのでプラズマに対してはいいイメージがあった。

つぎの瞬間にはg研究室の先生へ訪問させてくださいメールをおくっていた。学校から送って私は家に帰った。家に帰って自分のノートパソコンからメールボックスを見てみると・・・

うわ、はや。g研究室からだ。(今はこの速さに苦労している)

「ちょうどよかったです、訪問は明日でどうですか??」

6月12日

この日の日記に記されているのは「g研究室さいこー!!、g研究室に決めた!」

あの日、私が見たものは理系とは思えない生徒たちの研究熱心な姿。

先生とは思えない気配りの数々。

チンチラ。

あの日、私が聞いたものは、

派手にアピールはしないがそのすばらしい研究室業績の話。(あくまでも控えめに)

生徒とは思えないくらいの、プロい自分の研究説明、質疑応答。

夢のある展望

あの日、私が思ったことは、

ここに自分が入ったら間違いなく自分は伸びる!!!!

6月16日

β大学の大学院説明会へ参加。お目当ての研究室はg研。g研の先生が出てくると横にいたβ大内部生達が

「俺g研究室行きたいな・・・」

「俺も」

と言っているのが聞こえてくる。う・・・プレッシャーだ・・・。g研究室の説明はやっぱり面白い。だがこことf研究室しか受けなかったら本当に2つとも落ちそうな気がしてならなかった。

6月19日

というわけでもう1研究室。ここはα大のh研。AIを研究している研究室で、ナノテクともバイオテクともあんまり関係ないけど、人間がコンピュータとinteractionすることを研究するという超面白そうなことをやっていたので訪問に行きました。そうしたらこれがやっぱり相当面白くて!!先生が若いから生徒との距離も近いし、なんでもフランクに話せそうな感じがあってGOOD!生徒同士も仲いいみたいだし。AIのバックグラウンドなくても十分キャッチアップできるみたいだし。ここも受けよう。

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この月は私にとって結構カオスだったんだよね。今思い返すと。バイトも忙しくて、卒研の研究室のゼミも本格的に始まってて、院受験の勉強に加えてまだ自分の行きたい研究室もがっちり決まってなくてあっちこっちの研究室をウェブとか本で調べてた。

4月はしゃかりきに研究室訪問行っていたけど、5月は全然行かなかった。なんか積極的に質問はしているけど、果たしてそれが自分が本当に興味があって質問していることなのかどうか疑問に思ってきたから。もやもやっとしたものが心の中にあるということは、正直4月に訪問した研究室の中に行きたいところはないということ。なんでそうなってしまったかというと、研究室を調べている段階で、ちゃんとしっかり考えてなかったから。

何を?って思うでしょう?それは、自分がこの研究室に入ったらこぅして、あぁして、っていう具合にシミュレーションすること。別に「この研究テーマで私はこういうことをして・・・」っていうことだけじゃないよ。その研究室を組み込んだ自分の生活をイメージできるか?っていうこと。ウェブのHPだけでも結構情報は読み取れるでしょう?研究室メンバーだとか出した論文とか、活動記録とか・・・私はこういう人たちと一緒に研究して、仲間になって、一緒にご飯とか食べに行って、こういう場所で研究して、住む町はこういうところで、学会発表海外でやって・・・みたいに。そういう情報のあまりのってないところはだいたいどんな研究室か想像つく。考えてみて!今、情報入手の方法と言えばコンピュータでしょう?それに乗り遅れてるとか面倒くさいが故にあまりのせてないっていうような研究室は有り得ないでしょう!?

ウェブのHPの時点でそれがイメージできなかったら訪問行ったって同じことだと私は思ったの。で、5月はそういうスタンスで研究室調べてたら全然行きたいところなかった。ただだらだら勉強して(このころは電磁気学と統計力学と数学)、ゼミの準備(固体物理)してて。

そうこうしているうちに、自分の大学の大学院への推薦を蹴る日がやってきました。うちの大学は他大学院を受験する場合は推薦が取れなくて、受験して落ちてもまた拾ってくれることはないのです。つまり完璧足場をなくすことになります。こんな不安定な状態だったからこそ、推薦を蹴るのはものすごく勇気がいりました。迷いもしました。「今更だけど、自分の学科でどこか面白い研究室は・・・」とか「今の研究室で・・・」とか考えました。でもそれは結局楽な方向へ進もうとしている自分がいるわけで。そんな自分は嫌だ!!!

というわけで蹴りました。案外蹴ってしまうと開き直ってしまいます。数日間は実感がなかったけど、数日後は真剣さが増しました。自分の道は自分で開いていかなければ進めないぞ!みたいに。

そして5月30日、ついに自分の求めているものがはっきりわかりました。

私の興味あることは意志がなくとてつもなく小さいけど、単体でも頑張れるもの。その単体が集まると相転移じゃないけど、なんか不思議な現象が起きてパワーアップするもの。

脳のシナプスもそうだし、MEMSとか今やってるプラズマだってそう。分野はちがくても何かが同じ。これがわかったことでずいぶんと楽になりました。

to be continued to June 2003

2003年6月は私にとって運命的な出会いが待ってるわけで・・・

3月の末にまずウェブで自分の興味ある分野の研究室をいろいろ探した。

このころ、興味のある分野は「人間の脳」から「ナノテク・バイオ」に変わっていた。
興味ある割合はナノテク:バイオ=80:20くらいでした。

そして人生初「他」大学院の研究室訪問をすることを決心しました。
この時思ったのは、学生部会の仕事を学部時代やっていて本当によかった!っていうこと。
先生にメール出してアポイントメントとるのは慣れっこだったから(笑)
そしてこの後、何回学生部会会長という肩書きに助けられたことやら・・・

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4月1日

興味ある研究室への訪問アポ取りのために送ったメールは全部速攻返ってきた。よかったです。
さぁ、あとはコネ作り?だ。・・・どうやってやればいいんだろう?返信の内容から言うと、
α研究室とβ研究室がかなりいいんだけど、実際回ってみないとわからないかもね。
かなりドキドキなんだけど。

4月3日

訪問の日間違っちゃった。A大学のα研究室は明日訪問だったんだけど、今日行ってしまった。
はやとちりだった・・・先生も超びっくりしてた(笑)院生から過去問と解答もらっちゃった、ラッキー。
でも「あげるからにはちゃんと受かってよ!」って言われちゃった。

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実はこの初めての他大学訪問で先生との最初の会話はこんな風だった!

先生:「gomacchapurinさんはどんなことが知りたくて研究室訪問に来たのかな?」
私:「はい、院試ってどうやって受けるんですか?何が出るんですか?」
先生:「・・・・(かなりアキレタ様子)院試ね、極一般的な質問ですね。」

それでもかなり丁寧に説明してくれた上に、院生呼んできて

「彼女に過去問をあげなさい」

と・・・。めっちゃいい人じゃん!みたいな。その後もくだらない質問をし続けた私。
後から知った事実。α先生はナノテクの分野ではかなりの権威で、今考えるとそれはそれは恐ろしい質問を
私はしていたなと。きっと私の質問に答えながら「学生の学力低下」をさぞかし心の中で嘆かれていたことだろう。

先生の説明のあとには助手だったかドクターだったか忘れたけど、STM、AFM等の装置のことを教えてもらった。
聞くこと聞くことすべてが新鮮だったよ。授業と違って自分の将来を左右すると思うと必死になって聞けたし、
集中できた。そして私自身を褒めるとしたら、教えてもらったことを次の研究室訪問に活用したこと。
みんな似たり寄ったりの分野だったから使う装置も似たり寄ったりじゃない?例えば・・・

「装置の周りにアルミホイル巻いてあるでしょ?中にはヒーターも巻いてあって装置を高温にして装置から水分を
飛ばしているんだ。このことをベーキングって言って、真空を良くするのにとても重要なんだよ。」

ってそこで初めて習ったんだけど、私は次の研究室訪問でベーキングを知らない振りして、

「あの装置はなんでアルミホイルを巻いてあるんですか~?」

みたいに自分から積極的に質問をしかけられる。質問される側も

「お、よく気づくねぇ。」

って言う。好印象を持ってくれる上に、さらにためになる知識を教えてくれることの方が圧倒的に多かった。
最後の方に訪問したのが今いる研究室なんだけど、今の研究室訪問するときは質問の達人?になって
いたはず。後になって先輩が教えてくれたのは、

「gomacchapurinはできる子なんだと思った」

だって。Ha,化けの皮はがれた今となっちゃ笑い話だけどね。

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4月5日

γ研究室への訪問。なんてやさしそうな先生なんだ!女の子の先輩も超やさしいし、みんなのほほんとしている。
ただ気になったのが海外での学会がないってことと、なぜかみんな修士卒業したら就職してしまうこと。あれ?
研究テーマも・・・うーん・・・実際自分がやるとなったら愛情そそげないかも。でもあののほほん雰囲気捨てがたい。

4月10日

β研究室への訪問。やっていること面白うそうだし、先輩たちも愉快だから良かったんだけど・・・先生がイマイチ。
確かにすご~く偉いんだろうけど、なにかコンプレックスの固まりっぽくっていやだなぁ。
メールの返信はとってもいい感じの先生だったのになぁ・・・でもだからこそ訪問して良かった。
過去問先輩達からゲット。

4月16日

ε研究室への訪問。先生親切だったな。やってることかなりマニアックっぽかったけど、案外やりはじめたらはまったりして。しかし、しっくりこないなぁ。

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とりあえずざっと研究室訪問した。もし入るのだったらα研かあまり気は進まないけどγ研かな、って思っていました。過去問もいろいろもらったことだし、本格的に勉強もしはじめたのもこの頃です。物理系では量子力学の復習から
始めて、数学系では大学の演習授業でやった問題の復習から始めました。英語はまだノンタッチ。
分野研究に関してだけは怠りませんでした。常に目を皿のようにしてウェブでいろんな研究室を見ていきました。
そして4月末は学生部会最後の仕事?とτ研でのゼミだとかスタバのバイトであわただしく過ぎていきました。
大学院受験ダイジェストApril2004アップしました。

それにしても今日は平和な研究室だった・・・
実験は・・・またプラズマを発生させる部分を逝かせてしまった(反省)
ちょっと目を離したすきにburningみたいな。( if you know what im talking about)

別れあれば出会いあり。
もうすぐ新しい子たちが入ってくるなぁ。
早く仲良くなれるといいな。
今度は外国からポスドクもくるんだよ、楽しみ。
3月1日

心が揺れ動く。

なぜ私は留学がしたくて、日本に残りたくないのか?

それなのにこの微妙な感じはなんなのか?

「よし」と思ったらその方向にただひたすら向かうような私が心にひっかかりを感じる理由はなんだろう?

疑問ばかり、でも時間は待ってくれない。


3月4日

本当に自分がやりたいことはなんなのか?

不安でたまらないよ、ひょっとしたらずっと自分に嘘ついているのかもしれない。

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この時考えてたことは、

本当に本気で「脳」の研究がしたいの?
確かに人間の脳はすごく面白い。
感情はどう生まれてくるのだろう?どうして過去のことを思い出したり色んな想像をしたりできるのだろう?
どうして夢が見れるのか、どうして各々好きな音楽が違うのか…
そもそも、有名な科学の法則はみな脳が創り出したものでしょう?
全部脳抜きでは考えられないこと。

たとえ脳の全てを解明できなかったとしても、少しでもそれに貢献できればって思う。
そのアプローチの仕方としてやっぱりこだわるのが物理・数学的アプローチ。

私は「どの化学物質がどれに作用して・・・」と言われるよりも
「この化学物質がこの量だけこういうふうに流れるとこういう力がどこにこれだけかかって…」と
言われた方がわくわくするから。

物理・数学的アプローチにこだわる理由は自分の性格上どうにもならないことだけれども、
「脳」にこだわる理由は?って考えてた

その結果重要なことに気づかされたの。

私は物理・数学的アプローチにこだわりながらも実は自分の物理・数学の能力に自信がない。大学3年間の間
で余計なくなってしまった。「脳」にこだわるのは「面白そう」という理由以外にも「わかりやすそう」という理由が無意識に隠されているということに。

よく考えてみたらまだ自分の学科の研究室の分野と「脳」の分野しか比較してない、こんなの単なる逃げじゃん。
こんな気持ちで「脳」の分野行ってもきっと物理・数学的アプローチから遠ざかるような気がする。別に「脳」の分野が
楽だって思ってるわけじゃなくて、結局わからなくなったら無意識に楽な方へ流されていく気がする。物理・数学的アプローチがしたいのに逃げようとするからできないままで終わってしまうかもしれない。矛盾もいいところだ。

そのことに気づいた私は「逃げ出さない」ためにも「脳」以外の研究分野で自分の興味が湧く分野を探すことにしました。物理・数学の能力は努力すればつくと信じて。もしそこで見つかったら「逃げ」が防げたわけだし、見つからなかったらそれはそれで堂々と「脳」の研究分野へ行けばいいと思ったのです。
***********************************

3月6日

スタバ@西新宿で本を読んで研究分野探索をしました。
以外にも面白い分野が沢山みつかって困ります。どうしよう・・・
夢は広がるも地に足つかずみたいな・・・

3月25日

最近は日本の大学院も考えている。日本で業績積んでから海外行く
方が良いのではなかろうか。

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なんで日本の大学院も考えるようになったかというと、

「留学をしたい理由」を考えたときに、

女性も平等に扱われる、出身大学がものを言わない、かっこいい、箔がつく、世界中に友達ができるかもしれない、研究は海外の方が進んでる、楽しそう、自分の性格に合っている

「日本の大学院に行きたくない理由」を考えたときに、

女性は疎まれる、学歴差別、あまりよくわからない、受験の仕方不明

これだけ書くと確かに日本の大学院へは行きたくなくなる。そのように自分が考えるように私の「脳」が創り出した理由なのだから。本音を探ると、「留学はあこがれ、かっこいい、楽しそう。」それだけ。たったそれだけのことで日本の大学院を非難するのは自分の悪いところだ、と気づき、本当に日本の大学院がよくないのかどうなのか自分で確かめる決意をした。まじで良くないと判断したらそのときまた留学を考えればいいと思ったのだ。
1月9日

卒研配属先として自分の学科のτ研を選びました。理由は3つ。

1.学部1年のとき授業の一環でτ研で学んだ。先生を始め、既に知っている人がいる。

2.先生は私のこの半年の経緯を知っている。(教室会議で希望する研究室に配属することが駄目になったこと)

3.卒業研究以外の活動に力を注げる

でも一番の決め手だったのは、τ研に研究室訪問しに行ったたときに、先生が

「4年生の卒業研究は赤ん坊が研究する感じ」って言ったから。つまり、4年生はまだ研究に関しては
左も右もわからない状態であって、先輩や先生が手取り足取り教えてくれてある程度レールを敷いてくれるから
っていうこと。まずリスクに曝されることはほとんどない。守られている。

もっと言及してしまえば、「卒研で重要なのは研究の仕方であって内容ではない」ということ。だから、私が卒研を終えてから他分野を目指すのは全然遅くないということ。

今考えてみると当たり前に思えることが、あの時はそうではなかったの。
「卒業研究の分野」=「ずっと研究する分野」だと思ってた。だから先生の言葉はとても心強かった。
先生は私が外に出る(他大学院)ことを黙認していた。

「それに今のうちに色んな分野の勉強をすることはいいことですよ」っていう先生の言葉も今でも覚えてる。

この時はできれば留学しよう、って思っていて、日本の他大学院のことはあまり考えていなかった。
留学したら自分が伸びる気したから。


1月14日

演習の先生が進路相談に乗ってくれて、すごく助かりました。
先生と話しているといかに私が進路に対してあいまいな考えを抱いているかよくわかりました。
ただ漠然と留学しようかなぁじゃ駄目なんですよね。
行動が伴わないと。
さっそく行動せねば。

1月15日

コンピュータ室で、気になる海外の大学院のホームページをサーフィングしました。今度は「脳」の分野だけに
限らず色んな分野を見るつもりです。

・・・

この1ヶ月間、海外の希望大学院に行くための資格だとか、成績だとか、書類だとか、色んなこと調べた。
なんだかんだ言って結局希望分野はneuroscienceから変えられなかった。(やっぱり半年以上勉強した
分野だったから馴染みやすいし、わかる)

2月15日

この日は某留学支援センターへ行ってきて、カウンセリングを受けてきました。

「GRE(資格の一つ)の勉強を
していないなら今年海外の希望大学院にapplyするのはちょっと難しいかもしれないけど、
GPA(成績)は3.8あるからねぇ。うちのプログラム利用すればケンブリッジも余裕だよ~」

うさんくさくても、正直うれしかった。でもさすがにそこの支援センターに40万も払ってまで
ケンブリッジに行く気にはなれなかった。しかも、有名校ならいいっていうものでもない。
大学院は分野による!

2月26日

○台総合(別の留学支援機関)へカウンセリングを受けに行きました。
はっきし言って、最低最悪。

「留学はコネです。あなたはそういうコネお持ちで?」

「へぇ、コネがないなら難しいかもしれませんねぇ、第一学部生で我々の機関利用する人あまりいませんから」

だって。あったま来た。・・・でも正しいと思う。有名な大学院行きたいのなら、そりゃそうでしょうねぇ。
(天才は除いて)


2月27日

3番目の留学支援機関へカウンセリングを受けに行きました。昨日のところと違ってかなり良心的な上、最初のところより信頼性があります。けど・・・入学先がイマイチぴんと来ません。だけど、留学費用は本当凄まじいです。これから留学に必要な費用を考えると恐ろしい。果たして無理して留学することはいいことなのでしょうか?私は成績は良くても、実力は全くあるません。でも海外で勉強しながら生活することへの憧れもあり、なかなか夢を捨てれません。ひょっとしたら海外で実力伸びるかもしれないし・・・

to be continued to March 2003
今日ふと3年前からの日記(手書き)を見ていて、思いつきました。
私の経験が後輩へ役にたてばと思い私が大学院受験を決意した経緯から
大学院へ入学するまでの記録を載せることにしました。
ちょうど院受験すると決めたのもこの時期だしね。参考にしてください。
一辺には載せられないのでちょっとずつ書いていきます。今日はとりあえず序論?
みたいなところから。左のカテゴリ一覧の「大学院受験ダイジェスト」をクリックして
ご覧ください。
12月27日

「これでよかったんだ。・・・私の望む道じゃなかったんだから。」

「この半年やってきたことは無駄じゃないよ、きっとどこかで役にたつ日がくるよね?」

名古屋からの新幹線の中、自分に一生懸命言い聞かせた。
そして、その日から自分の行きたい道を探すことに妥協はしない、と誓った。

この半年前(学部3年の夏)、私は一つの研究室と出会っていた。
折しも、生物の分野、特に人間の脳の研究に興味を抱いていた。ところが残念なことに、
自分の所属する学科には生物物理の研究室はあるけれども、人間の脳を研究しているところはなかったのだ。
そこで、自分の大学のサイトを検索していたところ、この研究室の存在を知った。
ホームページ上で紹介されていることだけじゃなくてもっともっと知りたいと思って、思い切って
その研究室の先生にアポをとって研究室訪問することになった。

何しろ、研究室訪問なんて生まれて初めてだったから、すごく緊張した。
「馬鹿だと思われたらどうしよう!?」
「先生超怖かったらどうしょう!?」
でもこんなsituationでさえ乗り越えられなかったらこれからも乗り越えられない気がしたから
勇気を振り絞って研究室訪問しに行った。

でもそんな心配、全然いらなかったみたい。先生と当時博士課程にいた方が暖かく
迎えてくれました。沢山興味のある話聞けたし、私のレベルに合わせて研究の内容を話してくれたんだ。
帰りに

「もし、本当にやる気があるのなら・・・」

って言って1冊の本を渡された。脳の研究をまとめた英語の参考書。私の心は躍った。
それからは、その研究室にちょくちょく出入りしては、先輩に脳波の測定の仕方、解析の仕方を教わったり、
脳波測定実験の手伝いしたり、ゼミとかセミナーに参加させてもらったり。本当に楽しかった。けど
何か心にひっかかることがあった。その時は知る由もなかったけど。そんな時、先生が私に言った。

「よし、君を一人前の研究者にしてやる!だが人間の脳の前にねずみの脳を研究しなきゃならん。大は小を兼ねるんだ。来週から君にマウスの脳に電極をつけるオペの実習をさせよう。」

正直あまり気が向かなかったが、拒否もできなかった。でもそのオペの実習で出会った子がすごくいい子だった。
オペの手順を教えてくれた子。器用で、その子にならマウスも大人しく麻酔にかかる。(私はいっぱ~い噛まれた(笑))その子と色んなこと話した。将来の夢、好きな人、料理、大学生活・・・マウスに麻酔が一人でやっとかけられるようになって来たころ、その子がふと深刻な顔して私に聞いた。

「あなたは本当にこの研究室でいいの?」

って。その時は真剣に受け止めなかった。だけどその数日後その意味に気づかされた。
そもそもその研究室は自分の所属している学科の研究室ではないため、その研究室に入るためには自分の学科の
先生方に許可を得る必要があったのだ。その許可を得るために長い間教室会議にかけられていたのだが、オッケーをもらえるはずだったのが一転して急にその研究室に所属することが駄目になった。
その理由を自分の学科の先生に問い詰めると、理由を教えてくれた。
敢えてここでは書かないことにする。
それでも、どうしても私が行きたいのなら止めはしないが、どうなっても知らないと・・・
数日前の言葉が頭を再びよぎった。

かなりショックだった。100パーセントその研究室に行くつもりだったから。
でもやっと心にずっとひっかかってたものがわかってきた。私がやりたかったのは人間の脳の研究であって、
マウスじゃない。私がやりたかったのは数学・物理学的に解析することであって、生物学的に解析することじゃない。
もしかしたらその研究室に行くつもりだったけど本当は行きたくなかったのかも…なんて思い始めた。

しかし今その研究室に行くのを断ったら先生をはじめ私に親切に指導してきてくれた人たちはどう思うのだろう?
そしてもしその研究室を断ったとして、研究室配属が間近になった今、自分の学科の研究室に興味のない私は今更どこの研究室へ行けばいいのだろう?相談相手がいても、全然パニくってしまって、動揺し続ける日が続いた。学科の友達は着々と研究室訪問を進め、行く研究室を決めていた。

そして決断した。断ることを。

そのチャンスが12月27日。26日からその研究室の先輩のドク論のデータをとる手伝いをしに名古屋へ行くことになってたのだ。そのときにはマウスのオペを教えてくれた子も一緒だった。行きの新幹線の中、先輩が私に「あなた専用のパソコンを先生が買うって行ってたよ、それにもうすぐあなたのテーマも決まりそうだしね!これから楽しみだね」
って言ってきました。心が痛かったです。そして帰りの新幹線に乗る前、ついに言いました。

「研究室、他の研究室行きます。」って・・・

先輩もマウスのオペの子もびっくりした顔してたけど、理由は聞かれなかったし、否定もされなかった。
それでも先生は納得できなかったみたいでしばらく私を呼び出しては理由を聞こうとしてた。本当の理由は
言えなかったけど、「興味が変わった」って。先生に会った最後の日、まだ納得してもらってない感じで研究室を
去るときに、後ろから先輩が私を追ってきた。

「脳への興味が本当になくなっちゃったの?」って。

「いえ、そうじゃないんです・・・ただ・・・」って言ったら、

「そう、それなら良かった。この先頑張って・・・」

この先輩は今どうしてるかな・・・希望の職業につけてるとうれしいです。
そして私はまた自分の道を探し始めることになりました。

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