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ミラクルな人生@世界
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国際協力プロジェクトがはじまり10日ちょっと。実は今日この国際協力プロジェクトの終止符が打たれた。思い返せばこの10日間、本当に急展開の毎日であった。お金を払って経験しようと思ってもそう簡単にはできない経験をした。一生忘れられない、いや忘れたくない自分の心に刻むべき経験。ここに記しておく。

7月初旬に研究科の掲示板に1枚の募集広告が掲載されていた。

「中国と日本の国際協力者募集」

広告に書かれている仕事内容の詳細を見ると

「国際協力プロジェクトのための研究・調査。詳しくはA(仮称)まで」

と書かれていた。ちょうど自分の目指している、将来やりたいことを実現するためには非常に良い経験になると思った私は迷わずAと連絡をとった。

おおまかな作業内容は教えてもらったが、さらなる詳細は選考に通ってから他の選考通過者たちと合わせ、顔合わせのときに伝えるとのことだった。選考は履歴書選考。

めでたく選考に通過し、プロジェクトメンバーとの初顔合わせの日を迎えたのが722日。

プロジェクトメンバーは4人。それぞれがそれぞれの思いを胸にこのプロジェクトに期待を寄せて集まった。このときAを除く4人は誰一人としてこれから起こるドラマティック且つ惨たんたる展開を予想だにしなかった。

722日 ―顔合わせ―

プロジェクトメンバーのプロフィールを紹介すると(すべて仮称)、BCDそして私。BA同様中国人。現在でも変わらない第一印象は「人生今まで出会った中で日本語が一番上手で責任感のある子」。残るC,D,私は日本人。Cは「中国語が抜群にできる日本人」文系故、言葉を扱う才能はプロジェクトメンバーの中で一番長けていた。Dは「神童。」私と同じ理系。あの落ち着いた雰囲気と論理的思考能力の高さは私にもわけてほしいと思った。

プロジェクトの詳細について事前にABは話しあっていたらしく、この日はAからではなくBから説明されることになった。

プロジェクトの内容:

.中国のX市(仮称)と日本とのソフトウェアオフショア開発についてその現状・問題点・方向性を調査研究する。その上でX市の魅力を日本のIT企業にアピールし、二国間のIT分野の協力を強化していく。

.91日に国際IT協力会議を開催する。そのために参加日本企業をDMや電話、直接訪問やコネを通して募集し同時に日本から会議の講演者を募集する。

3.その他雑務(X市が作成したパンフレット和訳作業、会場セットアップ等)

91日までのプロジェクトスケジュールもおおまかであるがロードマップができており、本格的にスタートする8月に入る前に3番の雑務を済ませる予定であった。また、A曰くこれは中国のX市が我々の大学に依頼してきたプロジェクトであり、プロジェクト遂行にあたって投資された額はメンバーの給料含め、日本円で200万円とのことであった。日本では大した値段ではなくとも中国では大金だ。Aの研究室の教授の認可も降りており、教授の名前を使うことも可能だということだった。

ともあれ、プロジェクトメンバー全員はすぐにうちとけ、これから始まるチャレンジにわくわくした1日であった。

727日 ―パンフレット作成その1―

 

顔合わせから数日たった。私はこの間自分の研究を専攻の学生の前で発表するというイベントがあったため、プロジェクトに関しては何もしていなかった。この日になってようやく私はX市が作成したパンフレットの和訳作業をしはじめた。和訳と言っても私は中国語に関しては皆無なのでBCがすでに和訳したものをみんなと一緒にチェックする作業だ。ちなみにこの日リーダーのAはオフショア開発関連のセミナーに出席していたため、我々4人だけで作業を行っていた。21時過ぎまでかかっただろうか・・・一応10時―18時がコアタイムだったので初っ端から飛ばした感があったが、後ほど研究・調査に時間を費やしたいためみんな頑張った。

81&2日 ―パンフレット作成その2―

 

結局メンバーの都合がつかず、パンフレット和訳作業は8月に持ち込まれてしまった。それに、X市のだけではなく、自分たちの組織の紹介を含め91日に開催する会議の詳細のパンフレットも作製しなくてはならず、メンバー全員に焦燥感が現れ始めた。どう考えても、最低でもお盆直後には会議に招待したい日本のIT関連企業の手元にこのパンフレットが渡っていなければならない。つまり印刷業者に頼んで完成するまでの時間も考え、とにかく急がなくてはなくてはならない。さらには、それと関連して会議のプログラム詳細を決めるために具体的に中国のX市側からは誰がどれくらい講演するのか?(X市からは副市長、省の科学技術庁高官及びオフショア受け入れ企業の人たちが講演することは決まっていた)、日本側からは誰に挨拶や講演をしてもらうのか?、我々の研究・調査発表はいつやるのか?、懇親会はやるのか?等々も決める必要があった。まずは優先順位の高いことから確実にやろう、ということになりこの2日間は

     X市側のパンフレット翻訳作業や入力作業を終わらせること

     講演をしてくれそうな人に依頼のメールや電話すること

     うちらの組織側のパンフレット骨組みを作製すること

に専念した。会議での開会の挨拶に関しては、我々の大学が依頼を受けたということもあるので、Aの教授かもしくはAがぞくする専攻の専攻長に頼むのがベストだと考え、Aに直接先生にコンタクトをとってもらった。しかし残念ながらAの教授は1日は都合が悪いらしく挨拶ができないとのことだった。それでもAの教授は自分の代わりになる人を探すからしばらく待ってほしいとAに伝えたらしい。

8月3日 ―パンフレット作成その3とすれ違いの始まり―

 

なんとかX市側のパンフレットが完成に近づき、こちらの組織側のパンフレットの作成目処もたったころ、問題が生じた。今思えば我々にとってこのプロジェクトの歯車が狂い始めたのはこの時だったかもしれない。それはX市側のパンフレットのサイズをイラストレーター(描画ソフト)でチェックしていたときのことである。

「あれ・・・?これ全ページ少しずつ大きさが変わってるんだけど。パンフレットってA4サイズで作るんだよね!?」

急遽AX市側と連絡を取ったところ、向こうはこのパンフレットに工夫を凝らしたとのこと。しかし、向こうのやり方だと我々が印刷を頼もうとしたところでは対応できない。他のKINKOSみたいなところに依頼すればできなくはないだろうけど、莫大な料金がかかってしまうし時間がかかると判断した。その旨を向こうに伝えたところ結局向こうの印刷業者に頼むことで話はおさまった。だが、そもそもなんでこの事実をもっと早く伝えてくれなかったのか?あと少し気づくのが遅かったらこちら側で印刷を頼んでおり、面倒なことになっていたことは言うまでもない。

 

今まではAだけにX市側との連絡をとってもらっており、我々は向こうの要望をAを通して聞いていた。Aは沢山やることがあり、細かいところまで気が回らないだろうと判断した我々4人はAの負担を減らすためにも、A以外にもBCが直接X市側と連絡を取ることを決定した。そこでBAに向こうの連絡先を聞いたが、Aは最初教えることを躊躇していた。

 

ここで一つ明らかになったことがあった。X市側も直接副市長や高官がこちらに連絡をしているわけではなく、一人の秘書を通してこちらに連絡をしていることがわかった。

8月4日 ―@国際フォーラム(勉強、宣伝活動そして疑問浮上)―

 

この日はプロジェクトメンバーでちょうど国際フォーラムで開催されていた「アウトソーシング2006」というフォーラムに行ってきた。ここでの目的は2つ。

     オフショア開発を含むあらゆるアウトソーシングの勉強

     フォーラム参加企業に我々の会議の宣伝

前日に宣伝用のビラや名刺を用意して行った。中国にオフショア開発をしている企業はあまりなかった。どちらかというと、日本国内でアウトソーシングを受託している企業が多かった。我々の活動に興味を示してくれるところもあったけど、

中国ですか、言葉・文化・信用の面から言うとうちで進出することはないですね」

とか、

「上海や大連ならまだしも、X市ですか…インフラが整っているなら考えるけど…」

とか

「判断を伴う業務のアウトソーシングを行っているんで、いわゆるオフショア開発とはまた違ってきますよね?」

という意見が大多数。

また、我々はIBMの人の講演を聞くチャンスがあった。おそらくもとPwCのコンサルタントだと思われる彼のプレゼンはまさに目からウロコ。このアウトソーシング業界の全貌が彼のプレゼンを通してわかった。生まれて初めて1時間のプレゼンを寝ずに聞けた自分にも感動でした。いやぁ、自分も将来はあぁいう説得力のあるプレゼンテーターになりたいと思いながら

…はて…

これから1ヶ月間でド素人のうちらがその発表者みたいに調査・研究し解決策を導けるのだろうか??たとえド素人なりの解決策を導けて発表しようとしたところで会議に招待する日本企業は興味を示すだろうか…?また、X市側もそれなりに調査・研究した上で日本企業を誘致しようとしているのだから彼らの導いた解決策と我々の導く解決策がずれてたらおかしな話だ…。しかもX市側が発表する内容もすべて我々が和訳・チェックするとなると相当時間がない。日本企業を招待するための宣伝活動の時間も危うい…となるとX市側は我々に一体何をもとめて依頼してきたのだろう?????

 

 

こういった疑問をメンバーに打ち明けたところ、その辺をX市側にはっきりしてもらうために週末Bに連絡をとってもらうことになった。

この日はフォーラム後、Bが自分の知人に91日の講演を依頼するために出かけていった。メンバー全員少なくとも雇われた4人は困惑しはじめていた。

8月7日 ―救世主現れる!?―

 この日私は自分のうちのエアコン修理が入ったため、プロジェクトは休んだ。でも、いずれにせよ夕方から私も自分なりの知人を伝って今回の会議に日本IT関連企業を招待するための協力をお願いしようとしていた。が…Cからうちに電話がうちにかかってきた。

gomacchapurin!!大変だよぅ、収拾がつかない…から電話でもいいから話し合いに参加して!」

とのこと。話を聞くと、フォーラムの日にBは知人に講演依頼をしたが、断られていた。その理由が争点となっていた。

「我々組織の存在意義は??」

もちろん、この件に関してBは週末向こうにはっきりしてもらうためメールで連絡をとっているのだが、この時点でまだ返答がなかった。しかし残された時間のことを考えると我々の調査・研究云々の話はもう考えられない。しかもコネを使った講演依頼がこのような結果になってしまった以上、全くの他人に講演依頼して引き受けてくれる可能性は極めて低い。そうなると我々がしなければならない最低限のことはできるだけ多くの日本企業を集めること。これを受けてAはパニック状態になり始め、今から手当たり次第日本のIT関連企業に電話で連絡をとり会議の宣伝をし、招待せよと言う。手当たり次第やればいいというものではない。連絡する企業だって向こうのニーズと我々の提供するものがマッチしていなければ断るのは目に見えている。そのマッチしてそうな企業のリストアップでさえできていないのである。

誰が考えてもこの向こう見ずなやり方には賛成しかねた。

気まずい感じの雰囲気が流れ、私もこれ以上電話で説得するのも疲れ、また、これ以上言ったところでAの熱は冷めないと思い、今日の話し合いの打ち切りを打診した。そして明日みんなが冷静さを再びとりもどした上で議論を再会することになった。

 

そのように話し合いを打ち切った理由はもう一つある。当初一人で自分の知人に相談しようと思っていたがA以外とのメッセンジャー・メールのやりとりでA以外のメンバーにも私の知人に会って相談してもらおうと電話での話し合いの最中決めた。仕事の途中でA以外のみんなが抜け出すと怪しまれると思ったから。なぜAを誘わなかったか?直感だけど、4人ともAに疑問を抱きはじめていたからである。

 

知人E(仮称)は現在某大企業に勤めておりまさにオフショア開発の最先端にいると言っても過言ではない。そんな彼に企業側からの視点で我々が今後企業を招待するために宣伝するにあたり、どのように駒を進めたら良いかアドバイスをもらった。さらには彼も自分の上司や彼の知人で同じくオフショア開発に関連していろうな人たちと相談をして会議に参加できるよう説得を試みたり、また我々がどう宣伝をしたら良いか引き続きメールのやりとりでアドバイスをもらえることになった。

やっと一つ希望の光が見えてきた夜。消えかけた期待がまた再び心の中に戻ってきた

TO BE CONTINUED

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