8月8日 ―え!?、それどういうことですか!???―
前日のアドバイスをもとに我々4人はそれぞれの作業にとりかかった。Aにはプロジェクトにまだそこまで差し当たりのない作業(i.e. 我々の組織のホームページ作成)に専念することを促した。私の担当した仕事はずっと返答のないAの教授に再度会議での挨拶の件に関して依頼することであった。もちろん教授の都合は悪いとわかっていたけれど、他の人を紹介してくれると言いつつそのままになっていたから確認する必要があった。この件に関してAに何度も先生に連絡をとってもらうように頼んだが、毎回話を有耶無耶にされていたからだ。また、再確認の意で教授の名前や、研究科の専攻の名前を使用させてもらうことについても触れる必要もあった。Aは許可が下りているというが、念には念をというわけで。
この後、驚愕の事実が次々と明らかになった。まず、教授からの返答だが、
「私はこの件に関して一切関わっておらず、また大学のプロジェクトとしても認めてはおらず、従っていかなる場合も私の名前及び研究科の専攻の名前を使用することは許可しません。私が協力できることはありません。そうAさんにお伝えください。」
という内容のものがきた。我々はこの返答に対し愕然としたと同時に次なる疑問を抱いた。
どうしてプロジェクトを認可しない教授が中国のX市側の高官や副市長をはじめとする人々のビザのお世話をしたのか、いや、どうやってAは教授にビザをとる手続きの判子を押させたのか・・・??Aは教授にビザのことを依頼したメールは残してあるのだが、教授の返答はメールではなく口頭だったので残っていないと言う。さらにきつく問い詰めたところ、教授が判子を押したわけではなく教授の秘書が判子を押し、それを教授が確認しているはずだという。
「それは相当ヤバイ」
そのことでもめていると、X市側から連絡が入った。
「会議の日を延長してほしい。9月15日にしてほしい。またそれまでに参加する日本企業は最低150集めていただきたい。」
とのこと。当たり目に祟り目である。
向こうは何がなんでもこの会議で商談を成立させたいらしく、15日にすれば集められる企業の数が増え、商談できる確率も増すというのである。
しかし、まず15日に延長したら、今発行されているビザは無効になり再度発行してもらう必要があるが、どう考えても教授の力はもう借りることはできない。それにA以外の4人のメンバーは1日以降は都合がつかず仕事ができなくなる。そうなるとAは新しく人を雇う必要があるがその選定をしている暇を考えると15日に延長しても意味がない。そして150企業というノルマは一体どこで決定されたものだろう?
その旨をX市側の秘書に伝えると、ビザに関しては向こうが昔から馴染みのある日本企業に頼むという。そして人手に関しては、我々にどうしても15日まで頑張ってほしいという。さらに150企業というノルマは以前Aが適当にソフトウェアに関わっている日本の大企業をリストアップして向こうに送り、「これらの企業を招待できるだろう」と言ったところから決まったらしい。急いでAにそのリストを見せてもらうとそこには本当に大きな企業がたくさん。N総、N○○データ、富士○・・・
私の中で何かが切れた。それはAに雇われた他の3人も一緒だった。帰り支度をし、部屋を出た瞬間、
「飲みに行こう!!!!!!!!」ってなった。
桜水産で飲んでたんだけど、あんだけ食べて一人2000円。おばちゃんの接客が妙に心に染みた。
「いいじゃん、自分の可能性を試そうよ!!どこまでやれるか!!!」
最後の方はっていうノリになった。
事態を知った知人Eは態度を変えることなく引き続き我々のバックアップをしてくれると連絡してきた。
うれしかったと同時に心が痛んだ。ベスト尽くしてるのにどうしてこうなっちゃうんだろう??
夜、もう一人相談できる人に事態を話したところ、
「自分の可能性を試すのは結構だけど、サークルのノリじゃぁ駄目!!相手は政府であり、企業だ。かけられているお金も高額だ。お金を投資しているのはあくまでも向こうなんでしょ?だったらどうgomacchapurin側があがいてもどうしようもない。結局向こうに決定権がある。そうであれば、もうこちら側の現状を包み隠さずすべて話して向こうにこのプロジェクトを続行させるかさせないか決めさせたら??」
と言われた。
確かに。その夜私はBにメッセンジャーでこのことを伝え、次の日決行することの同意を求めた。Bも同じことを考えていた。
8月9日 ―横領疑惑―
私はX市に送る我々の現状と今後のプロジェクト続行の可否について問うことをまとめたメールを作成しこの日プロジェクトに参加できなかったBの代わりにCに中国語に訳してもらいX市側の秘書に送ってもらうことにした。あとは、ぼろぼろの状態の組織になってしまったものの、我々は気持ちを切り替え、プロジェクトがこのままずっと続行されることを仮定して引き続き日本企業を招待するための戦略をみんなで練っていた。Aには引き続きHP作成を促した。
Cがメールの中国語訳を終え、私がもう一度送信する前にチェックを行っているとこの9日間の中でもっともショッキングな情報が入ってきた。X市側の秘書からAの携帯電話へ連絡が入った。
「私を含め、あなたたちに横領疑惑がかけられている」
その秘書は自分の事務室に入ることも許されず、パソコンを使用することも会社の電話を使用することも許されない状態になってしまったらしいのだ。唯一使用できるのは自分の携帯電話だけ。その携帯電話でAに連絡をとってきたのだ。
どうして我々に横領疑惑がかけられているのか、その時はわからなかった。その時の推測では、我々のプロジェクトの進展が思わしくないのを察知し、我々ではなくてちゃんとした日本企業に依頼することになったから我々が必要なくなったのではないかということだった。とにかく、X市側は全額返金を要求してきた。すぐに返金できなければ秘書の立場が悪くなるのは明らかだった。Aは早急にこの時点で残っている残金と足りない部分は中国の実家に連絡して埋め合わせてもらい、返金することを決断した。そして、我々は今まで我々がきちんと働いてきた証拠を全て集めることにした。
その途中でAが私達に本当のことを話し始めた。どうやらAとこの秘書は親友であるらしく、今回のプロジェクトはその秘書がX市にAの研究内容を伝え、強くAを推薦したことから始まったらしいのだ。その秘書は長年仕事をしており、信頼も厚いことからX市はそれを信じきり正式な契約を結ぶことはなく200万円をこのプロジェクトに投資したそうだ。だからAに疑いがかかれば当然秘書の責任にもなるということだ。X市の高官・企業の人たちは二人が共謀で横領しようとしているのではないかと考えていたわけだ。
証拠を揃え終わろうとしたそのころ、再びX市側から連絡が入った。プロジェクトを続行させてあげても良いというような内容だった。しかし、最終的な決断は明日出すということだった。向こうが一体何を考えているのかがますますわからなくなった。
8月10日 ―誰の責任?―
決断が下されるまで自宅待機となったこの日。夕飯時になってようやく連絡が入ってきた。
「秘書の立場をかけてこのプロジェクトを続行してほしいとのこと。」
横領疑惑の次は「脅し」か…。もう恐怖というよりは笑いに近いものがこみ上げてきた。その時は出先だったので、家に帰ってから今後の件についてAなしの緊急のウェブ会議を開くことになった。私は一つ勘違いをしていたことがここでわかった。X市側が秘書を人質にしてプロジェクトを続行しろと脅してきているわけじゃなく、秘書自身が自分の名誉挽回のために自分の立場をかけて失敗したら首になる覚悟でプロジェクトを続行してくれ、と言ってきているとのことだった。安心した。命が危ないわけではなかった。150企業集めなくてもいい、35企業くらいでもいいと、値段交渉ばりのことまでしてきた。
極自然なことだけど、メンバーはもう振り回され、これ以上危険に足をつっこむことにうんざりしていた。正直、私はこの段階で既に当初の目的とあまりにもかけ離れたプロジェクトを続け、その秘書の名誉挽回のために手伝う気力は失せていた。確かに自分の可能性を試すことも考えたが、このまま今の形のプロジェクトを続行して得られることと、プロジェクトからフリーになって得られるだろうことを天秤にかけると、どうしても後者の方が重くなりはじめていた。
プロジェクトを続行するにしてもあまりにもシガラミが多くなりすぎている。横領疑惑までかけられ、情だけで続けるこのプロジェクトは国際協力とはどう考えてもいい難いし、招待する日本企業、とりわけ自分の知人を巻き込むこともしたくなかった。いずれにせよ、15日まで見届けられないのならプロジェクトの責任を負うことはできない。4人はプロジェクトを降りることを決意した。
それでも最後まで争点となったのは、
「人を見捨てることができるのか?(主にAと秘書)」
ということ。まず秘書に関しては、
「彼女は確かに今首になるリスクをしょわされている。だけど、痛手の度合いこそ違うかもしれないけれどうちらもこのプロジェクトに参加したことによって期待から大きくかけ離れた結果を目の当たりにしなければばらないという痛手を負った。彼女は今自分の立場かけている。でも自分の立場をいい方向にもっていこうとしているのはみんな一緒。だから彼女は続けるし、私達は降りる」
という結論に至り、情をわりきることにした。
Aに関してはさらにわかったことがあった。そもそものプロジェクト経緯を秘書から知ることができたのだ。Aが中国の開発区オフィスに直接コンタクトをとり、自分は研究の一環で国際協力のための組織をたちあげたからこの組織を利用してくれるところを捜していると言ったらしいのだ。もちろん、その時点でその組織とは名ばかりで、何も中身がなかったのだ。いみじくも、以前このプロジェクトをスタートさせたばかりの時にAが私達に
「これは私にとってビッグチャンスなんですよ」
と言っていたのを思い出した。
これを受けて開発区の一つであるX市でちょうどオフショア関係の仕事をしていたAの知り合いであるその秘書が引き受けることになったのだ。あとはA本人が言っていたこととつながる。この事実を知った我々は
「依頼を受けたというよりは準備不足の状態で自分からのりこんで行った」
と判断し、Aに関しても情をわりきることにした。
Aが圧倒的に悪者に見えるかもしれないが、私はそれは違うと思う。今回、誰が悪かったか?と考えると誰も完全に非難できる人はいないのだ。
Aはただ純粋に自分の研究をアピールし、認めてもらいたかったのだ。同じ研究者としてこの気持ちは良くわかる。ただ、あまりにも見切り発車すぎた。組織としての概念は決して悪くないし、一緒に仕事をしていて彼のこの組織発展にかける情熱は私も見習うべきところだと思ったくらいだ。
X市側はただ純粋に自分たちの都市の発展を願い、少ない資金でも彼らの夢を実現してくれる組織に願いを託したのだ。ただ、Aの研究も発表したいという目的X市の商談ができる日本企業をできるだけをただ集めたいという相補の目的を最初からお互いにクリアにせず目的が歪んだ状態でプロジェクトを進めようとしたことが結果的に良くなかったのだ。
そして私達はただそれぞれのプロジェクトに対する思いを実現するために協力したかっただけなのだ。ただ、得られるであろう実績や報酬に目がくらんで、根本的な問題点をもっと早くみつけることができなかったのだ。
8月11日 ―はかなく散った国際協力プロジェクト、芽生えた信念―
Bが我々4人の決意とその理由をX市側の秘書に送った。返信は数時間のうちにきた。
中国語と一緒に日本語変換ソフトを使って翻訳した文を送ってきた。
「みなさんの心を傷つけ、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。皆と協力できなくなっても私はプロジェクトを続けていこうと思います。今まで皆さんからご支援いただいたこと心より感謝いたします。X市にいらした際には是非お声をおかけください。私が皆様をご案内いたします。」
なんとも心がしめつけられるメールだった。一度決意した心が揺らぐ。だが、冷静に受け止めなくては。
こんな形であっけなく終わってしまった国際協力プロジェクトだが、色んな経験が凝縮されていたように思える。敢えて言うのであれば、無理して我々の手で会議を開き、失敗し、お互いの関係がこじれるくらいだったらむしろ我々の手でプロジェクトを潰してしまって良かったのかもしれない。ある意味国際協力だ。(笑)
ただ、私自身悔いが残らないわけではない。結局X市の人々の役にたってあげることができなかったのだ。今回の経験を通して私の中で新しい信念が芽生えた。必ず将来、国際協力の仕事に就き、今度は絶対に協力先の願いを叶えるという信念である。それが私の使命だと考える。
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