今週は、突然夕方から雨が降ることが多かった。
そして夜窓を開けると家の中に小バエが入ってくる。明らかに私の大嫌いな梅雨が近づいてる。朝起きて雨だったりするとまじテンションさがるわ~。風呂場にかびが生えないようにケアしなきゃならないし、ドライをつけっぱなしだと金かかるし、洗濯物は乾かない上くさくなるし、おしゃれもあんまする気なくなるし、髪セットする気もなくなるし、ビューラーでまつげあげる気もなくなるよ。
ま、どうせ6月はくそ忙しいだろうから梅雨であってもなくても自分かわいがってる暇がないのは確かなんだけど。
研究テーマとの戦いもあるけど、それ以上にきついのは他の人たちのスケジュールとの兼ね合い。私の実験の測定とか一人で勝手に好きなときにできるものじゃなくて、持ちつ持たれつ。研究室の他のメンバーも同じ測定をしようとしてたら待たなきゃならないし。実験したくても、研究室内の他のdutyが入ってしまえばそのdutyだけで何時間もひどいときには1日つぶれるときだってある。それだけじゃなくておおがかりな測定をするときはプロの人について測定を進めなきゃできないし。TA代もらってるんだから後輩の面倒見はmustだし。
以外なところで時間がかかる。先生にメールで報告するときに、メールの内容をどうしようか考えてるだけで時間かかるし、何か他の人に依頼したりするメールの内容考えるだけでも時間がかかる。こういうことで時間がつぶれると、夜家に帰ってきてふと
「なんて無駄の多い一日だったんだろう、もっと要領よくやれば時間を有意義に使えただろうに」
と凹んでしまう。忙しい時なんかなおさら。
でも忙しい中でも実験がさくっとできたり、自分で勉強して新しい知識が増えたり、新しい考え方を見つけた日は運動した後みたいに晴れ晴れとした気持ちになる。
だから6月はある意味試練だと思って、くそ忙しい中でも毎日充実した気持ちで満たされるよう、時間の使い方に重点をおいて物事をこなしていけたら・・・いきます(断言)
私一応M2なんだよね。なんか今のままだと自分の時間管理においてずっとB4から成長ができていないような気がする。がんばろ
前に揚げ物失敗した話しましたっけ?
そんな話を前研究室でしていたら、研究室の女性スタッフMさんが料理教室を開いてくれることになって・・・それが今日でした。
審査員は研究室のほかのメンバー2人。
天ぷらを習いました。
なす、れんこん、ごぼう、さつまいも、にんじん、ちくわ、えび、あじ、おおば。
以下初めて知ったこと。
ごぼうの皮は包丁の背でこすぎとる。
ごぼうは土つきの方が長持ちする。
なすは塩水、レンコンは酢水、ごぼう、さつまいもは水であく抜き。
えびはハラワタじゃなくて背ワタで、背ワタをとる。
具によって微妙に衣の作り方が違う。今日は薄力粉100グラム、卵1個、水160cc
はぁ・・・全然知らなかったよ。習ったこと得意になって、研究室のメンバーで来たうちの一人に、
「ごぼうの皮の取り方知ってる??!」
って聞いたら
「~でしょ、常識。」
って正解を言われてがっかりしたのと同時にショックでした。天ぷらのできは・・・すごくさっくり仕上がっててGOODでした!でも、フライヤーという自動的に油の温度を調節してくれる便利な機械を使っていたのでずるいっちゃずるいんですけど。しかも、野菜の厚みとか私の切り方がやばかったからかなり違うし。さつまいもとか1.5cm幅のもあれば、0.5cmのとかもあったし。
一番ウケタのが、レンコンをまとめて揚げてるときに、4つくらいのレンコンのスライスが互いにくっつきあってたのを見て
「クラスターだ、クラスター!!」
って言ったとき。(研究室内輪ネタ。理系の人ならひょっとしたらわかるかも)楽しかった。あんなに天ぷら死ぬほど揚げて、食べたの初めて。しばらく見なくていいや。
本当にMさんには感謝です。材料もあんなにそろえてくれるなんて!これもいい思い出になりそうです。これから天ぷら揚げる度に思い出しそうです。
話は変わって、今日はもう眠いから今度じっくり考えて感想書こうと思うんだけど、友達のHPに超泣ける記事が載ってた。社会人になる人&博士課程へ行く人について・・・すごく感動しました。できればリンク貼ってみんなに紹介したいくらいです。(でももったいない気もする(笑))
通学などの移動の時、研究室の喧騒から離れたい時、喫茶店で勉強している時・・・
絶対必需品なのは音楽!!
中学→高校→大学→大学院
walkman→CD player→MD Player→ipod
時代が移り変わり、音楽を再生する物も変われど、音楽を聴いて自分だけの空間を作り出すという行動だけは今も昔も変わらない。
好きな音楽の系統は似たり寄ったりだけど、10年間で好きな音楽はもう数え切れないほど!
好きな音楽一つ一つにはなんらかの思い出も添付されてるの。playする度に思い出も一緒にplayされるんだ。
その思い出の時の気分に近づけるためにその音楽をplayすることもある。
その音楽のムードに酔いしれる時だってある。
その音楽の歌詞と自分の境遇を照らし合わせることだってある。
自分プロデュースの音楽選曲で自分が主人公である空間を作り出せるの。自分がその日求めている音楽の種類によって自分のコンディションもわかるし、ある程度なら音楽の選曲の仕方によってコンディションを整えなおす事だってできる。
私自身置かれている立場を客観的に見れたりもできる。
友達から紹介されたり、自分で新しく見つけたお気に入りの曲は白いキャンバス同然。色とりどりのクレヨンで思い出がキャンバスの上に描かれていくのを待っている。先週友人から勧められた[WESTLIFE]の曲もその一つ。楽しみだな☆
音楽は本当、不思議。音楽は私にとって本当必要。
朝研究室へ行って自分のノートパソコンの上には博士後期課程試験の受験要項冊子が。
こういうときは、いつもWhitney Hustonの The Greatest Love of Allが定番だったのに、何故かMonica feat 112 のRight Here Waiting (Richard Marxのカヴァー)が妙に聴きたくなって。
歌詞とはあんま関係ないんだけど。そういう気分だったみたい。
風邪治ったよ!covacchapururunさんetc.本当、ご心配ありがとうございました!うれしかったよ~
風邪なんて正月以来だよ。
けどここまでひどい風邪は1年ぶりくらいだな。
そもそも、発端はうちの研究室の後輩。彼が熱があるのに頑張って研究室来るから・・・気づくと続々と犠牲者が。大学院生になると、「学校休みなさい」なんて親切なこと言ってくれる人誰もいない。せいぜい「うつすなよな~!!」くらいしか言われないもの。
私が発症したのは水道部からの帰り道(月曜ブログ参照)でそれから昨日までだましだましB4のコーチングもあるから学校行ってたけど、昨日の夜はまじやばかった。鼻はつまるし、咳は出るし、熱はあるし、胃腸もおかしくなってるし・・・。論文読んでても症状が気になって結局論文持ってるだけみたいな。
というわけで今日は休みました。もちろん無断で。朝起きて、ご飯食べて、また寝て、起きたら先輩からメール。
「今日休み?」
これだけかえ!!??もっと心配しろっつ~の。そう言えば前、同じ学年の子が全く連絡なしで休んで、誰かが連絡とっても音沙汰なしだったときに
「あいつ死んでんじゃね~??あはは」
って研究室の人たちが言ってたの思い出したよ。万が一何かあっても、あの研究室に救いは求められないとその時悟りました。
このままごろごろしてるのももったいないので(貧乏性ですから)家のことやりました。トイレ掃除とか、掃除機とか、払い込みとか、買い物。買い物の帰り、モス入って一息ついていた時、隣で勉強している女の子の勉強内容ちら見しちゃった。数学だった。たぶん等差数列とか等比数列っぽい内容だった。なんでだかわかんないけど、心から応援の気持ちが湧いちゃったよ。(もちろん本人には言わないけど)(笑)
私はそこでプラズマ角周波数の勉強をしたよ。何回読んでも忘れるんだよね。本当嫌になるよ。きっと使わないからだと思ってるけど、老化だったらまじ凹む。
このプラズマ角周波数を利用したのが通信で、プラズマ角周波数より小さい角周波数を持つ波(電波)跳ね返されるという性質を使っている・・・らしい。
あぁ、はやく風邪治らないかな。
後輩のコーチングにも奮闘している今日この頃。
それとは全然関係ない話になるんだけど、最近妙に自分の卒業した大学が懐かしい。大学院移って以来一番自分の大学が恋しくなっているような気がする。
その理由は・・・学部時代一緒に友情を築き上げてきた色んな友人たちと久しぶりに再会をしているから。あの大学、あのキャンパスには思い出という思い出が凝縮されているもの。
同じ学部、同じ学科、同性との劇的な出会いをした入学式(確率およそ10500分の3)
あまりにも難しすぎて開いた口が塞がらなかった最初の数学概論の授業
生まれて初めてセクハラめいたことを異性から言われて激怒した日
みんなで遅くまで残って、頭を合わせて解いたレポート
中庭を歩く男性という男性に友達と一緒にランク付け
テスト勉強合宿、友達とパジャマ姿でラーメン屋に入ったあの暑い夏
微妙なかけひきにわくわくしたあの情報リテラシー室
占有していた女子トイレ
恋ばなに花咲いた授業の数々
学生部会での活動
学食でいかに安くおいしいものを食べるか議論した場所
沢山の新しい人と出会うきっかけをつくってくれたこと
うれしかった日、悲しかった日・・・
迷った日、決断した日・・・全て大学4年間の思い出。
その思い出一瞬一瞬をわかちあった人たちが今まさに新しい局面を迎えようとしている。そんな話を聞いているとあの二度と帰ってこない日々が妙に懐かしくなる。
私だけなのかな。
水道料金、3月分納入してください。20日までに納入が確認できない場合は水道を止めさせていただきます・・・
へ?
今までこんな手紙もらったことなかったよ。おっかし~な~、確か払ったはず。今までは払い込み済みの領収書は丁寧にストックしてたけど、邪魔だから切り刻んで捨てるようになったから払ったか払ってないかわからないんだよね~。でも払い込みの用紙がどこにも見当たらないところを見るとやっぱり払ってるような。これを期にまたストックしようかな・・・。
というわけで今日は市の水道部の給水課へ足を運びました。早くに窓口が閉まるという噂だったので、研究室を超早くきりあげました。
「督促状が来てて、早く水道料金払わないと水止められるから帰るね」
なんて恥ずかしいこと言えず、こそこそと帰ってきました。
ってゆ~か、まじあの督促状の裏に書いてある地図うざい。縮尺がなってない!!おかげでめっちゃ道迷ったよ!!(怒)絶対払ったんだってば!!なんで私がこんな思いしなきゃならないのよ~!!と怒りが頂点に達した頃水道部へ着きました。たぶんあの給水課の人の態度が悪かったら超逆切れしてるところでした。
「こんな当てにならないような地図書くようなところだから、私がちゃんと水道料金払っててもちゃんと記録されてるかどうか当てになりませんね~」(変な理屈・・・)
って。ところが全然いい人たちでさ~。しっかり徴収されたけど、抵抗する気が失せちゃった。このやり場のない怒りをどこへやったらいいのだろうか・・・。
明日は報告会兼先輩の誕生日!!さっき不覚にも昼寝をしてしまったんだけど、起きて夕食食べようと思ったら・・・ご飯がない。おかずだけ先食ってご飯炊いてる間に報告会の練習してたよ。ほら、胃の中に入ってしまえば同じことでしょう?多少腸を通る順番は違うかもしれないけど、気にしな~い、気にしな~い。
報告会の練習は途中で頭が白くならないようにある程度、色んなことを予測しながら。でも、実際の場で発表するときの緊張感はないんだけどね。自分で自分につっこみいれててかなり間抜け(笑)
「とてもわずかにでもかかわら・・・とてもわずかなでもかかわ・・・とてもわずかなものであるにもかかわらずだってば!!!!!!!!!!!」ってね。
で、練習が一段落して今先輩の誕生日ケーキ(今年はモカカップケーキv)作ってた。ただ今焼きあがって最後の仕上げにアイシングする前に冷まさなきゃならないから待ち時間にブログを書いているのさ。コーヒーの香りが素敵。自分で試食するのが楽しみだわぁ。
最近お菓子の写真は更新していないけど、ちゃんと記録だけは残してますから。そのうちまとめて更新しますね。特に今月来月はバースディラッシュなんで・・・(全部作るのは不可能)
あ”~っ!!!!!!!!!!もう!!!
ってとりあえず叫んでみたり。いや、ほら、研究室で叫ぶとみんなに気ちがいって思われるでしょ?でも案外研究室で同僚たちみたいに時々奇声を発した方がすっきりするのかもしれない・・・
来週の頭に報告会があるんだけど、プロシーディングまでに出した結果から全くプログレスがない。
ない!!
仕方ない。プロシーディングの内容を報告会で説明しよう。
仕方ないっちゃ仕方ない。だってプロシーディング書いてる間は実験なんてできるはずないし、プロシーディング終わったら即シミュレーションの研修だったし、研修から帰ってきたら研究室でシミュレーションするための環境設定してたわけだし、環境設定が終わったと思ったらGW突入だし、GW明けたらB4のコーチングだし・・・
すまぬ・・・要領の悪い私が全て悪いのはわかっている。ただこんなこと先生の前で言ったら、
「いつでもやめていいんですよ~~」
って言われること間違いなし。周りの子たちが最近ばんばん数値計算の結果出したり、実験したり、新しい実験のための装置開発を着々と進めているのをみてかなり焦る。またそういう話を周りで聞いていて、自分もその話題に遅れないようにそのフィールドに関しての知識を自分なりに勉強するんだけど、考えてみたらそんなの自分の仕事じゃないんだから後でもいいじゃんね~!・・・でも・・・気になるですと。
今自分の仕事は3つ。
1.中断していた実験をさらに進めること。
2.シミュレーションの結果を簡単な系で6月中旬までに出すこと
3.前々から出そうと思っていた某物理量を出す方法を勉強して出すこと
優先順位を決める??いや、それがどれも1番です。机の引き出しを開けるとそこにはプロシーディングと闘った跡が・・・(論文がごっちゃり入っててとてもとても女の子の引き出しとは思えない)たぶん整理整頓能力はうちの研究室で下から3番目くらいかと思われます。(うちの研究室はちなみに十数名いる)
ふと目を斜め前の先輩の机にやると、きっちり論文がファイルの中に収められたものがめっちゃキレイに並べてあって、癪に障ります。(笑)
要は今の私は地に足がついていない状態で、あっちふらふらこっちふらふらしているみたいです。これじゃいかん。・・・というわけでこういう時は落ち着いて身の回りの整頓から。確か前もこんな状況あったような。そんときはデータの整理だったけど。研究科新歓のBBQにもいかずひたすら机の中整頓していました。研究室の子が
「行こうよ~!これでキャッチボールみんなでしようよ~~♪」
ってラグビーボール投げてきて誘ってきても我慢です。この論文は青のファイル、この論文はピンクのファイル・・・って頑張りました。やっぱり段々片付いてくると、自然と自分の頭も整理されてきました。う~ん、いいぞ・いいぞ~ってわけで家にこのまま帰宅したらやる気がなくなると思ったのでスタバへ直行して報告会の資料用意して、3の勉強して今に至るわけです。これからこの先の予定を立てよう。gomacchapurin号の約1ヶ月後のdestinationを決めなければ遭難してしまう。
教訓。整頓大事。私が頭混乱するのは整頓ができていない証拠。
5月9日朝バスの中。
あぁ・・・憂鬱だ・・・楽しい休みは終わり、何を次の楽しみに今日から過ごせばいいのか・・・
なんて思ってたのは1通のメールを受信するまで。
実はこの数日前、驚くべき便りをもらった。Nからのメール。私が学部3年のとき、一人の留学生N(仮称)と知り合った。彼とはすぐに仲良くなって、当時自分が会長を務めていた学生部会の秋の学祭への出店にも協力してもらった。学生部会の出店はその時が云年ぶりで、私を含め部会のメンバー全員にとって初めての試みだったのでNのヘルプは救世主的なものがあった。Nには今でも頭があがらない。
ずっと最近まで心残りだったのは、彼が帰国する際、私は「さようなら」も言わなかったこと。レポートの提出やらバイトやら学生部会の仕事に追われている毎日で自分のことで精いっぱいだったあの頃。Nに新宿とかを案内する!って約束したくせに約束をやぶってしまった上にありがとうも言わず離れ離れになってしまった。
Nの帰国後、しばらく連絡はなかったが、大学院へ来てから思い出したように時々メールのやりとりをする程度だった。メッセンジャーやっても私の都合で私から切ることが多かった。それである時ぷっつり連絡が途絶えてしまった。私はてっきり自分がNにあまりにも冷たい態度をとってきたからNがとうとうぶちぎれて連絡を絶ったのだと思ってた。そのとき真剣に後悔したし、悩んだ。私には人と人とのつながりを大事にする能力に欠けているのかもしれないと。・・・このペースで書くと寝れなくなるので感動は薄れるけど、はしょります。
そういう心残りだった部分もふくめてNに謝りのメールをおくりました、二度と返信が返ってこないことは覚悟したけど。結局、私の考えすぎだったみたいで、返信が返ってきました。返信の内容に、Nの状況が色々変わってしまって最近は忙しくて連絡ができなかったということが書かれていました。私の気持ちもうれしかったということも。実はこのときめちゃくちゃうれしくて、確か過去のいつかのブログに書き込んでるはず・・・その後に来たメールで「今度秘密があるから教えるね!」みたいな内容で、私は返信するタイミングを逃してしまいました。それでも返信を書こう書こうと思っていたのが数日前。そしてその数日前にNから私の携帯へメールが届きました。
携帯??携帯?????
もしかして秘密って日本に来ることだったのか!!!ってびっくりするとともにかなりうれしかったです。どうやら日本の会社に勤めているらしいんだけど・・・最初は直にNの勤め先を聞かなかったんだ。でも、どうも状況を聞いているとどこかで聞いたことがある。なんでこんなにもドキドキするんだろう?って数日前思ってたわけです。
そして月曜日。私は確信しました、Nの勤めているところを。そして私は彼に
「あれ?もしかしてNの会社は○○○じゃない?」
ってバスの中で送りました。
びんご。
何故これがものすごいことかって?だって自分の彼の会社だったから・・・これからどう展開していくのか楽しみなこのごろであります。世の中せまいからこういうことが起きるのか、それとも自分が人生の中で知っている人が増えてきているから起きるのか・・・
火曜日も同じようなこと起きました。私の研究室の後輩と、某インターシップで友達になった子が同じ高校とかね。すごいよ、偶然なのかな??
私は最近、自分の直下の後輩(研究内容に関して)を指導することになりました。B4,M1いずれも下っ端だったので、かなり不思議な気分です。理想の先輩像(スタバの某社員)はあるものの、自分にちゃんと後輩に教えてあげられるかかなり不安です・・・が頑張ります。
五月病になんかかかってる場合じゃないです。今後の展開に乞うご期待!
みなさんはGWはどうお過ごしですか??
私は海外旅行に行ってきました☆ベトナム&広州
生まれて初めてのアジア旅行ですっ。出発前に友達に色々噂を聞いたり、ガイドブックを読んで、期待半分不安半分で旅行へ出発しました。まず出発の日。
5月1日・・・
中国南方航空という航空会社をご存知ですか?私は知りませんでした。今回乗るまでは。シートに着席して窓の外をのぞくと、飛行機の羽が見えました。異様に羽が黒かったので(酸化?汚れ?)本当にちゃんと飛ぶのかかなり不安でした。気のせいかもしれませんが、気流の乱れに突入する回数も多かったような・・・(偏見かもしれません)でも中国南方航空のエコノミーはJALのエコノミーより席が広いし、機内食がおいしかったです。(だって、帰りはうなぎの蒲焼がでたもん!)
直行便ではなかったので、乗り換えのため一旦広州に着陸しました。広州の空港は驚くくらい大きくてキレイ!成田よりもずっと!!後で聞いたんだけど、まだ新しいらしく、4000億ぐらいかけて作られた飛行場みたい。飛行場内で道に迷って困ってたら中国人の係員の人が道案内してくれた。日本人だって知ってたかどうかはわからないけど、めっちゃ笑顔で超親切だったよ。反日運動とかからの先入観で中国の人たちに対してはあまりいい印象をもってなかったけどそれを簡単にひっくり返せるくらいの人だったね。その人だけかと思ってたけど、その後もいろんな人に会ったけどみんな普通にいい人たち。嫌な人たちもいるのかもしれないけど、それがメジャーだとは限らないものね。テレビのスクリーンに映し出されるのはフィルターのかかった情報だけだもの。
ベトナムには夜ついた。暑い!暑いっ!!夜なのに摂氏31度!バスで飛行場から宿へ移動したんだけど、バイクの多さにびっくり。友達から聞いてはいたけど、目の前で見るとかなり迫力がある。ガイドの話によると、ホーチミン市の平均年収が1万円くらいで日本製のバイクが25万円~。中国製のバイクが4万円~らしい。ただ中国製のは安い分壊れやすいらしいよ。一家族まるまる乗っているバイクとかすごい多かった。3人乗り、4人乗り当たり前みたいな。カップル乗りも多かった。勝手な想像だけど、ベトナムの若い男性の夢は恋人をバイクの後ろに乗せて夜風を切って走ることかなぁ・・・なんて思っていました。そして日本のバイクに乗っていることはある意味ステータスかと。
あと、クラクションを鳴らす回数にも驚きました。普通日本なら本当に危険なときにしか鳴らさないじゃないですか?ベトナムは違いました。印象としては常に連続して鳴らしてる感じです。ベトナムじゃブレーキランプが壊れるよりもクラクションが鳴らなくなる方が困るのではないかと思います。(笑)
5月2日・・・
この日はメコン川のデルタ地帯でのフルーツ食べ放題のツアーに参加しました。まさかその場所に行くまで冷房の効かない車でがたがたの道を2時間も移動するとは思っていなくて、車酔いをしやすい私の彼をかなり心配していたんですが・・・逆に自分がやばかったです。ラッキーなことに途中で車のタイヤがパンクしてくれて、タイヤが復活するまで休憩できたん。それでまた元気になったけど。
途中トイレ休憩の場所にテレビが置いてあって、よく見るとミリオネアもどき?やってた。司会者はみの○んたみたいにはじらしたりはしてなかったけど。ウケル番組なのかね。車の次は船でデルタへ移動。まずは船の上でココナッツジュースをserveされました。この旅で初めてココナッツジュースを飲んだんだけど、想像してたのと全然違ってた。イメージではココナッツミルクみたいのが最初からあの実につまっているような感じがしてたんだけど、実際は本当に水に近いさらさらの液体があの実の中に入っていて、皮の内側にゼラチンよりちょっと硬い白い部分があるの。おそらくあの部分がココナッツミルクとか、いわゆる「ココナッツ」なのではないかと。味はなんとなく「ココナッツ」の味がするだけで、全然しつこくなかった。無人島への遭難者がココナッツを水分代わりにするというのも納得!サボテンもそうなのかなぁ。
フルーツの食べ放題では色んな珍しいもの食べました。ライチみたいだけど、ライチじゃないフルーツ、ジャックフルーツ、キウイみたいな味だけど、見た目はごま塩みたいなフルーツ、モンキーバナナ、スイカの乾燥したもの、生姜の乾燥したもの(?)、ココナッツのヌガー。あとはオーソドックスにマンゴー、パパイヤ、パイナップル☆45度のバナナのお酒もいけてました。(消毒にもちょうどよかったのではないかと思う)フルーツじゃないけど、メコン川の魚も食べたよ!見た目超ぶっ細工な魚。ライスペーパーに香草とそれを包んで食べたんだけど、おいし~っ。魚自体には味はあんまなかったんだけど、タレが美味!
その後はカヌー?みたいなのにのってメコン川を下ったんだ。オールで漕いでる現地のおじちゃんに言葉は通じなかったけど、思いっきり「に~っ」って笑ったら向こうも負けないくらい「に~っ」って笑ってくれたのがうれしかったです。帰りのバスは言うまでもなく地獄でした。サウナに入りながらゴーカートに乗ってる感じ。
5月3日・・・
摂氏38度。本当に干からびるかと思いました。その中でも頑張ってホーチミンの市場とアイスクリーム屋とベトナム戦争中の総司令部と戦争博物館をまわりました。市場はもっと活気があるかと思ってたけど、朝早かったみたいでそこまで活気がなかったのがちょっと残念です。メコンデルタツアーで一緒だったほかの日本人から噂は聞いていたけど戦争博物館はまじ凹みます。犠牲者の写真やらホルマリン漬けの奇形児やら・・・重々しいものだらけで。でも改めて平和な時代に生きていることの幸せとこれから先も同じことを決して繰り返してはいけないということを実感します。
ベトナムで一番気を使っていたのが水。絶対に下痢はしないと、頑張りました。食事のときに出されたお茶も、シャワーや歯磨きの時は水道水は決して口には入れず、ペットボトルの水か缶飲料だけを信用して飲んだり、うがい用に使っていました。何しろめちゃめちゃ暑かったので飲んだものがすぐ汗になって蒸発してしまうから常に水分を補給していなければならないんだけど、簡単に水分を手に入れることができないから結構危なかったです。ベトナムではアメリカドル、ベトナムドンが使えるのですが、アメリカドルしか持っていないと自販などで水は買えません。逆にベトナムドンよりアメリカドルで支払うと結構特することもあります。よくわからないけど、アメリカドルの方が価値があるみたい。あとベトナムドンは帰国の際ベトナムの空港で両替するのを忘れるとその後両替するチャンスが全くないので結構悲惨かもしれません。これから行かれる方に参考にしていただけたら幸いです。
二日目の夜、食事をしているときのこと。ふと窓の外に目をやるとそこにはバラの花売りをしている幼い少女たちが。どうやら私の彼と目があったらしく、こっちのほうにやってきて花を差し出し「買って?」という仕草をする。初めは彼も横に首を振っていた。ずっと二日間そうだった。色んな子供たちが色んなものを売りに来た。ポストカード、帽子・・・全部頑なに拒んできたのだけど・・・何故かその場をその女の子は去ってもまたやってきて彼に「買ってポーズ」をする。その姿を何回か見てるとだんだんかわいらしくなってきて思わず二人で笑ってしまいました。そしてレストランを出るときに彼が私へのプレゼントということでバラをその女の子から買いました。すると、
「ありがとう!!」(注:日本語)
あぁ、やっぱり日本人ってわかるのね・・・。って思いました。バラをもっているから相当いい人たち(いい鴨たち)に見えたらしく次々子供たちが色んなものを売りに来ようとしてくる。さすがに無視して歩いていたけどそこへまた別のバラの花売り少女登場。彼は、「もう買ったからいらないよ~」っていう仕草をするんだけど「じゃ、チューイングガム」みたいに今度はチューイングガムを差し出してくる。「いらない、いらない」って手を振りながら進もうとするんだけどずっとついてくる。早歩きしてもついてくる。すると突然彼が
「わかった、わかった。買うから」
って言い出すから不思議に思って「なんで?」って聞くと、
「ずっと腕つねくれられてた・・・痛い(涙)」って言う。
かわいそうに、ずっと我慢してたのね・・・あの女の子は間違いなく強い女性になるわ。宿に帰ってチューイングガムをケースから取り出してみると半分以上ない。そのあと二人でずっと大爆笑していました。だまされた!って。幸い置引やスリとかにはあわなかったけど(笑)
5月4日・・・
ベトナムをあとにして広州へ。新米中国人ガイド2人組が超面白かった。どうやら今は研修期間中らしくてめっちゃはりきってる様子がわかる。いっぱいいっぱいの様子もわかる。
「広州と日本の時差は1時間です。広州が6時なら、日本は・・・・日本は・・・・何時でしたか?」
なんて言って最初から飛ばしてた。でも、
「日本のお客さん減ると失業しますっ」
って真剣な顔してた(笑)ホテルの部屋を空けていたときに置手紙がしてあって、
「明日モーニング・コール5時に決めました。チェック・アウトはみなさんの方でやるようにします。 ガイド」
みたいに書いてあってすごく頑張ってるなぁ・・・と感動してしまいました。広州では地下鉄に乗って(これもまたすごいキレイ!)新宿+渋谷みたいなところへ行きました。うちら二人は普通に景色に溶け込んでたでしょう。普通にデパートに入って、ウィンドウショッピングして?お茶して・・・日本でデートするときとさほど変わりはなく、ただ周りで話していることが全くわからないというだけで。ただマックに入って注文をしたときに言葉が通じなくて大変な目に合ったけど(笑)
「#2のセットを2つ」って言ったら#2のセットが1つしか出てこなかったよ。「違う」とか言ったら店長まで出てくる騒ぎになってしまって。店員も動揺、こちらも動揺、で気まずかった。
みんながみんな英語使えるとも限らないから。
珠江沿いを歩いているときなんか浅草の隅田川沿いを思い出しちゃったよ。ただキリンビールのあの建物がないだけで。高速道路もすごくきれいだし、日本と全然変わらないんだけど、同時に廃墟ビルもすごく多かった。これからあぁいうところもなくなっていったらもっとすごいんだろうなぁと思いました。
夜中華料理を食べに行ったときのこと。そのレストランで英語がしゃべれるウェイトレスの女の子と何故か仲良くなって、いい思い出ができました。日本人に対してちょっとでもいいイメージを持ってくれたらうれしいです。私は中国の人に対していいイメージを持てたのですが。
5月5日・・・
帰国。日本はやっぱりほっとする。周りでしゃべってることがわかるって素敵。水道水で口がすすげるってワンダホー。氷が食べれるってすごい。やっぱり自分は日本人だ。
旅を振り返って。
「ありがとう」はサンキューよりもその国の言葉で言った方が受けいられると痛感。うちのパパが何ヶ国語もの「ありがとう」やら「こんにちわ」を覚えている理由も納得。
言葉は通じなくても自分からスマイルすれば、必ずスマイルで返してくれる。
英語がコミュニケーションの媒体となることのすばらしさを実感(特に英語が母国語ではない人同士が話すこと)
本当にいい思い出、勉強になりました。
え?彼は頼りになったかって?
もちろん。それに、よくあの狂うような暑さの中、喧嘩しなかったと思って。
この月は私にとって結構カオスだったんだよね。今思い返すと。バイトも忙しくて、卒研の研究室のゼミも本格的に始まってて、院受験の勉強に加えてまだ自分の行きたい研究室もがっちり決まってなくてあっちこっちの研究室をウェブとか本で調べてた。
4月はしゃかりきに研究室訪問行っていたけど、5月は全然行かなかった。なんか積極的に質問はしているけど、果たしてそれが自分が本当に興味があって質問していることなのかどうか疑問に思ってきたから。もやもやっとしたものが心の中にあるということは、正直4月に訪問した研究室の中に行きたいところはないということ。なんでそうなってしまったかというと、研究室を調べている段階で、ちゃんとしっかり考えてなかったから。
何を?って思うでしょう?それは、自分がこの研究室に入ったらこぅして、あぁして、っていう具合にシミュレーションすること。別に「この研究テーマで私はこういうことをして・・・」っていうことだけじゃないよ。その研究室を組み込んだ自分の生活をイメージできるか?っていうこと。ウェブのHPだけでも結構情報は読み取れるでしょう?研究室メンバーだとか出した論文とか、活動記録とか・・・私はこういう人たちと一緒に研究して、仲間になって、一緒にご飯とか食べに行って、こういう場所で研究して、住む町はこういうところで、学会発表海外でやって・・・みたいに。そういう情報のあまりのってないところはだいたいどんな研究室か想像つく。考えてみて!今、情報入手の方法と言えばコンピュータでしょう?それに乗り遅れてるとか面倒くさいが故にあまりのせてないっていうような研究室は有り得ないでしょう!?
ウェブのHPの時点でそれがイメージできなかったら訪問行ったって同じことだと私は思ったの。で、5月はそういうスタンスで研究室調べてたら全然行きたいところなかった。ただだらだら勉強して(このころは電磁気学と統計力学と数学)、ゼミの準備(固体物理)してて。
そうこうしているうちに、自分の大学の大学院への推薦を蹴る日がやってきました。うちの大学は他大学院を受験する場合は推薦が取れなくて、受験して落ちてもまた拾ってくれることはないのです。つまり完璧足場をなくすことになります。こんな不安定な状態だったからこそ、推薦を蹴るのはものすごく勇気がいりました。迷いもしました。「今更だけど、自分の学科でどこか面白い研究室は・・・」とか「今の研究室で・・・」とか考えました。でもそれは結局楽な方向へ進もうとしている自分がいるわけで。そんな自分は嫌だ!!!
というわけで蹴りました。案外蹴ってしまうと開き直ってしまいます。数日間は実感がなかったけど、数日後は真剣さが増しました。自分の道は自分で開いていかなければ進めないぞ!みたいに。
そして5月30日、ついに自分の求めているものがはっきりわかりました。
私の興味あることは意志がなくとてつもなく小さいけど、単体でも頑張れるもの。その単体が集まると相転移じゃないけど、なんか不思議な現象が起きてパワーアップするもの。
脳のシナプスもそうだし、MEMSとか今やってるプラズマだってそう。分野はちがくても何かが同じ。これがわかったことでずいぶんと楽になりました。
to be continued to June 2003
2003年6月は私にとって運命的な出会いが待ってるわけで・・・
10 | 2024/11 | 12 |
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